Mandolin Player Kzo Ishibashi

石橋敬三と楽しむマンドリンの世界

Category: 意識改革 (page 2 of 2)

後ろは決して振り返ってはいけない。

失敗しない事が最善の道です。

だから失敗しないために事前の準備をしっかりする事が大切です。

でも、現実は失敗しない人なんていません。

 

失敗は成功の母。

自分の行動を振り返って失敗の原因を追求する。

成功をつかみ取るためには、誰しもが通らなければならない道です。

 

成長を志す人にとって、反省・過去の分析は当たり前の事です。

でも、仮に『それを決して実践してはいけない場面がある』なんて言い出したらどう思いますか?

 

後ろを振り返ってはいけない。

先日、以下のお悩みを読者の方から頂きました。

 

「ちょっとでも間違ったら、そこが気になって演奏を止めてしまうんです。合奏だけでなくソロの時にもそうなってしまいます。」

 

非常によくわかります。

納得がいかないところは、弾き直したいですよね。

 

でも、この「納得がいかない」という状況が続くということ・・・。

それはつまり「目の前の音符を弾く事に集中できていない」という事なのです。

 

本当であれば、集中力の切れた状況で弾き続けるのはリスクが大きいので、すぐにでも弾くのをやめたいところです。

あるいは、同じようなフレーズが複数出てくる曲の場合は、「さっきはなぜ失敗したのか」と振り返ることで、次の成功率をあげることができるかもしれません。

でも、これは他の人がカバーしてくれる、合奏の場合です。

 

一方、ソロの場合は、この手は使えません。

どんな状況でも、例え納得のいかない部分があろうが、停電しようが、弾き続けなければなりません。

 

「後ろ」を振り返ってはいけないのです。

時間は逆にはもどりません。

 

目の前で聴いてくれている人は「次の音」を待っています。

ソロの演奏者はその「次の音」で最高のパフォーマンスをすることが求められています。

頭の半分で後ろを振り返っていては、次の瞬間に良い演奏をすることは難しいです。

 

意識を切り替える

過去を分析することと、後悔、くよくよすることは全く違います。

失敗後の意識の切り替えの重要性は、音楽以外の分野にも共通することです。

 

例えば、多くのスポーツは強い精神力が求められます。

野球の投手も、メンタル面が成績に大きく影響を与えますね。

 

ピッチャーが、ホームランを打たれたとします。

でも、次のバッターは、先ほどホームランを打ったバッターとは違う人物です。

次のバッターが打席に立ったからには、前のホームランの事を考えてもあまり意味がありません。

ピンチを広げないために、ピッチャーは意識を切り替えなければなりません。

メンタルスイッチといわれるものです。

 

スイッチというより、リセットといったほうが良いでしょうか。

高ぶった精神を落ち着かせ、集中力を発揮できる状態をつくるのです。

 

大事なのは目の前の事に集中する、ということです。

演奏の話に戻ります。

僕の場合、自分の演奏で納得のいかない部分があったとしても、次の方法で意識を切り替えます。

 

まずはお客さんの立場で考えます。

『お客さんは熱心に次の音を期待してくれている。そんな状況で後ろなんて振り返っていられない。』

また、現実主義型ポジティブ人間の僕はこう考えます。

『失敗したという事よりも、次のフレーズに集中できないことのほうがリスクが大きい。だから今は振り返らない。』

大体の場面では、この二つの思考によって、振り返りを回避できます。

もちろん、演奏が完全に終了したら、たっぷり振り返ってより良い演奏をめざします。

 

自分自身、いつもいつも100%実践できているわけがないですが、忘備録のためにも記事にしました。

参考にしていただければ幸いです。

 

 

『演奏する意味とは何か』を考える。

先日、読者の方からこんなお便りを頂きました。

 

Q .

こんにちは。私は今度、クラブの発表会で独奏をすることになりました。

その演奏会は一日かけて行い、私が演奏するのはその長い時間の本当に数分です。

部員の中には楽しみにしてくれている人もいますが、そうじゃない人もいるかもしれません。

聞きたくない人に無理矢理、演奏を聞かせるのは不本意に思います。

でも、「演奏を聞きたくないなら聞かなければいい」という風に考えるのも違う気がします。

 

そもそも演奏をする意義は何なのでしょうか。

 

単に「自分を表現する」というのはあまりに一方的過ぎる気がします。

Kzoさんの考えをお聞かせください。

よろしくお願いいたします。

 

(質問者様の了承を得た上で掲載させていただいています。)

 

何のために演奏するのか

誰のために演奏するのか。

自分のためなのか、人のためなのか。

本当に自分の演奏は、必要とされているのか。

 

このような悩みや疑問を、漠然と抱えている人は多いと思います。

僕自身も、学生の頃から考えていました。

 

しかし、本当の意味で考え出したのは最近かもしれません。

10年後は違う考えになっているかもしれませんが、今の考えを質問者Aさんに回答させていただきました。

以下、回答の抜粋です。

※ここでの意見はあくまで個人的なものです。他の考え方を排除するものではありません。

 

自分自身と向き合った経験・結果が音楽のスパイスになる

A .

演奏をする意義は何か・・・。

これはとても深い問題ですね。

 

『聴きたい人もいるし、聞きたくない人もいるかもしれない。』


この事について本気で僕が考え出したのは、恥ずかしながら最近です。

ニューヨークにいるときです。



地下鉄構内で演奏してると、前のケーキ屋のお兄さんがやってきて僕にこういったんです。

「その曲は、僕の友人の葬式で演奏された曲なんだ。すまないが今は弾かないでもらえないだろうか。」

この出来事は衝撃でした。



音楽が人を喜ばせることはあっても、人を傷つける事はないだろう、と思っていたからです。

自分の想像力の無さを痛感しました。

この時の話をするとよく次の事を言われます。

「想像力があったとしても、そんなことは避けられないじゃないか。考えすぎだよ。」

 

でも、問題はそこ(結果)じゃない。

音楽を演奏する人として、音楽の源である自分の心の問題なのです。



音楽は人の内側が自然に滲み出ます。

音楽を奏でる人は、自分と向き合った分だけ、人を動かすと思っています。

 

自分の演奏は、飽くまで、今まで自己と向き合った結果です。

自己表現欲のみで表面をつくろっただけの音楽は、やはり薄くもろいものになります。

一方、単純に良い音楽をつくるため、内側で熟成させた場合は、技術以上に人の心を打ちます。

 

聞きたくない人もいるかもしれませんが、聴きたい人もきっといます。

聴きたい人がいるのであれば、その人達に自分の内側を見ていただく。

そこに力を集中して注ぐべきだと思います。





ここで、ちょっと陳腐な分析に戻りますが、この状況は「おつきあいのカラオケ」に似ているかもしれませんね。

自分が歌うのはいいが、人の演奏はあまり聞きたくない。

でも人の演奏を聞かないと、自分の歌も聞いてくれない。

だから聞く。

(※全てのカラオケがこれに当てはまるわけではありません。)



でも決定的に違う点があります。



おつきあいのカラオケは、ネガティブに捉えたとすれば、ストレスの発散の場です。

しかし、部内発表会はどうでしょう?

人前でソロで演奏する、という機会を設けることで、未来のコンサートマスターや能力の高い奏者を育てる、という立派な意義があります。

将来のためにも、そんな大切な機会は守らねばなりません。

Aさんが演奏するのには、そういう意義もあると考えてください。

 

聴きたい人が一人でもいるのなら、その人のために心をこめて演奏しましょう。

聴きたいと思ってくれている人に対する礼儀です。

 

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あの松本も唸るバカリズム流プロ意識とは?

バカリズムは、マセキ芸能社所属の升野 英知による日本のお笑いユニット、ピン芸人、ナレーター、俳優、脚本家、作詞家である。(wikipediaより)

「トツギーノ」に代表されるように、フリップ等を巧みにつかった奇抜で多彩なネタで有名なバカリズムさん。

そのバカリズムさんがテレビで語った「ある内容」のなかに、凄まじいプロ意識を感じたので紹介したいと思います。

 

『人志松本のゆるせない話』という番組での事ですが、バカリズム升野さんが『許せない事』として次のようなことを語っています。

 

「僕なんかの知名度くらいだと、出逢う人のなかでやっぱり僕の事を知らない人もいるんですよ。

その人に『でも俺テレビ観ないんだよねー』なんて言われると本当腹が立つんですよ。」

 

テレビを観ない人であれば、有名人の事を知らないのも仕方がないです。

ただ単に有名になりたいというだけの人であれば、「あ、テレビを観ないのであれば、自分の事を知らないのも無理はないか」という事で問題は解決するでしょう。

しかし、バカリズムさんは違います。

そもそも升野さんは、自分を認識してくれていないことではなく、自分の前で「テレビを観ない」という発言をされることを嫌っているようです。

続けてこう言います。

 

「僕の事を知らない人がいたら、『この人にもテレビを通して知ってもらえるくらい成功して有名になってやる』って思うんですよ。

でもそこで『テレビ観ないから』と言われたらどうしようもないじゃないですか。

僕の事を知らないのはいいけど、(自分の舞台である)テレビの事は否定しないでほしい。

 

目の前の人が自分の事を知ってくれるまで、自分はテレビの中で頑張りたい。そう思っている自分からチャンスを奪わないで欲しい。

 

『テレビを観ない』と言った人は、フォローのつもりで言ったのかもしれません。

『君の事を知らないのは、自分がテレビを観ないせいだから、君のせいじゃないんだよ』というつもりで言ったのかもしれません。

でも、そのフォローは、向上心に燃える升野さんには無意味だったようです。

 

自分の職業に対して、ここまで強靭で貪欲な志を持っている人は、他にいるでしょうか?

常に向上心を強く持つバカリズム升野さん。

そのプロ意識は、半端なものではありません。

 

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成長の鍵はアンテナ感度よりも代入力。

成長したいのならアンテナを広く張るべきだ。

このような台詞をよく聞きます。

積極的にいろんな情報・体験を取り入れることで、新しい発見が得られる可能性が高くなる、というものですね。

僕自身、小さい頃に親や先生から言われたこともあります。

また、他人との話の中で自分でも口にしたことがあると思います。

 

でも、最近思うのですが、この言葉には足りない部分があると思うのです。

確かにアンテナを広く張ることは大事です。

でも、情報を取り込むだけでは、外部への効果が生まれません。

手に入れた情報や体験を元に、何かを産み出したり、意識して何かに活かしていかなければなりません。

「インプットとアウトプットのバランスが大事」という事にも繋がる話ですね。

 

興味を持つだけでは足りないのではないか。

色んなことに興味を持つ事はすばらしいことだと思います。

でも、せっかく興味を持つのなら、何かに活かしたいですね。

ひょっとしたら全く関係のない事に応用できるかもしれません。

 

例えば、僕は先日「文具BAR」という面白い企画に参加させていただきました。

小さな頃から誰の身の回りにも存在する文具というものが、BARという大人の社交場とコラボレーション。

その結果、期待以上の化学反応が起きたわけです。

 

このコラボ自体は僕の音楽活動とは直接関係のない話ですが、企画の手法として学ぶ事がたくさんありました。

僕は現場にいながらにして「この企画アイデアをマンドリンに応用すれば・・・」と考えていました。

しかし、こんな創造的な企画も、学生時代に体験していたとすれば、「あぁなんだか面白いイベントだなぁ」だけで終わっていたかもしれません。

当時の僕には、その本質を抜き出して他の事に応用する意識がなかったからです。

 

アンテナ感度より代入力!

面白いものを見て体験することは、行動力と時間さえあればいくらでもできます。

でも、せっかく興味深い体験をしたのであれば、ただ外から見るだけではなく、その本質を自分のフィールドに持ち帰って試してみたいものです。

ジャンルが全く違うものでも、意外と本質は同じだったりします。

 

『本質を見抜いて自分のフィールドに代入する力』こそが、アウトプットの鍵ではないかと思います。

アンテナ感度も大事ですが、僕なんかは情報量が多すぎると頭がパンクします。

無理をして関心を持とうとしても、そこで湧き出る興味も、その質も大したものにはならないことが多いと思います。

それよりも、限られた質の高いチャンスを逃さずに、その本質を捉えて吸収・実践したいと思います。

 

さて、次は何をしようか。

 

 

演奏も作曲もブログも、中身は全部同じです。

今回は『演奏』『作曲』『文章(ブログ)』という相異なると思われる3つの作業。

しかし、それらには重要な共通点があります。

「あるべき」という表現のほうが正しいでしょうか。

 

誰のための文章か?

趣味、つまり自分のために文章を書く、というと日記や引出し(鍵付)の中のポエム帳などが当てはまるでしょうか。

ここでは、何を書いても問題になりません。

“書きたい事” “思ったままの表現で” 書けば良いのです。

 

一方、一般に公開するブログ(一般公開のSNS日記)は違います。

“書きたい事” を書く事は表現の自由として日本国憲法第21条で保障されています。

でも、読んでくれる人がいるとすると、読む人は貴重な時間を消費して記事を読んでくれているのです。

その方に理解、または納得してもらえる内容にする努力をしないと失礼にあたるのではないでしょうか。

“思ったままの表現” で書いた場合、第三者が理解、もしくは納得してもらえるかどうか、一度考えてみることが必要です。

(※ 書き手が著名人などの場合、 “思ったままの表現” こそが喜ばれる事もありますが、一般には例外中の例外と言えます。)

また、読んだ方の気を害する表現は慎むべきでしょう。

インターネットの中であっても、公共の場で感情的になって良い事はありません。

 

演奏も同じ。

演奏であれ何であれ、表現をするという事は、その表現を受け止める人がいるのです。

そして、表現を受け止める人がいて、初めて表現の場が成り立つのです。

 

もちろん例外もあります。

かつて、12音技法で有名な作曲家シェーンベルグは「もう聴衆はいらない」と言いました。

これは歴史的な音楽発展には必要な事だったでしょう。

そもそもシェーンベルグが演奏会を実験場のようなものとして認識していたのかもしれません。

実験であれば、確かに聴衆は必要ありません。

 

話を戻します。

演奏会は、聴いてくれる人がいて初めて成り立つものです。

聴いてくれる人のために、”表現の内容” そのものを曲げるのは本末転倒ですが、その内容を理解、もしくは納得してもらえる工夫に努めるべきだと思います。

演者だけが主体ではありません。

例え無料の演奏会であっても、お客さんは交通費と貴重な時間を費やして来てくれています。

演奏以外の面も含め、演奏会全体がお客さんに与える印象を、お客さんの立場にたって考えたいものです。

 

届けたい人の立場にたつ。

演奏であれ、作曲であれ、ブログであれ、内容は自分の中から生み出されるものです。

しかし、それを外に出して、誰かに届けたいとすれば、それが正しい形で届く工夫をするべきです。

相手の立場にたって、自分の表現が適切なものかどうか確認してみても、時間の無駄にはならないのではないでしょうか。

 

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無限に増えるチョコレート

『ポケットを叩くとビスケットが増える』

そんな夢のような歌がありましたね。

 

でも、世の中には、ビスケットよりもチョコのほうが好きだ、という方も多いのではないでしょうか。

ある動作をすると、チョコが無限に増える、なんてことが起きると楽しいですよね。

板チョコをいくつかのパーツを切って、組み替えると、板チョコは元通り。

しかも1ピース余っています。

これは、1ピース分チョコが増えた、という風に見えます。

銀行の利息のように、ちょっとずつ自然に増えていくのでしょうか。

 

でも、残念ながら、実際はそんな事は起きません。

パーツを組み替えても、チョコ全体の面積(正確には体積)が増えるはずがありません。

 

よーく見てみると、若干ながら、組み替え後は長辺の高さが低くなっている事がわかると思います。

 

世の中には、一見すると何も変わっていないようで、実は変化している、という事がたくさんあります。

携帯電話の契約内容が、更新後に少し変わっていることに気付かず、損をした。

そんな経験はありませんでしょうか?

 

でも、逆の事もありえるはずです。

一見すると何も変わっていないように見える部分でも、実は着実に進化している。

 

目に見えてわかる劇的な進化だけでなく、中身をじっくりと充実させていく。

そんな人間でありたいと思います。

 

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プロに無償で仕事を頼むということ

“プロに無償で仕事を頼んではイケナイ!” 

こんな記事を最近よく見かけるようになりました。

 

無償の仕事も場合によっては有りですよ

このトピックについて、シンプルに考えたいと思います。

頼んだ側も頼まれた側も、両方が満足する結果になれば、それでいいんじゃないかと。

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でも、ここで、ある疑問が浮かぶと思います。

『プロの人が無償で仕事を頼まれて喜ぶことって、本当にあるの?』

 

答えは『あります』(もちろん条件付きで)

 

実際、僕自身もごくたまに無償で仕事を頼まれ、それを引き受ける事があります。

こちらは時間を費やし、技術を駆使します。

それに対して、金銭的な見返りはありません。

でも、最後は堅い握手で終わることが多いです。

 

満足は、お金だけから生まれるわけではありません。

それ以外の事で、満たされれば、無償でも問題ありません。

 

有償でないと頼めないのか。

個人的には、仕事を頼む側の方には、「無償でも頼める場合がある」という事を認識してほしいです。

もちろん、報酬があったほうが何事もスムーズですし、良識を持った方なら、まずは内容に見合った報酬を用意して頼むことを検討すると思います。

 

でも報酬を出したくても出せない、のっぴきならない事情があるという場合もあるでしょう。

例えば役所なんかでは、担当部署に予算科目の用意がないため、構造的な問題で報酬を出す事ができない、という事情もあるかもしれません。

 

その場合、何か他の対価を用意してから頼むと交渉の余地があると思います。

 

パターンA :  副次効果の仕掛けを用意する

『ごめん、今回お金は出せないんだ。でも、1万人に商品の宣伝するから!』

『ボランティアになっちゃうけど、物販でがんばってCD100枚売るよ!』

 

パターンB :  熱意、または社会的意義を伝える

『アフリカに井戸の掘り方を普及するプロジェクトなんだ!協力してくれないか?!』

『これが成功したら、この街が変わるんだ!!』

 

他にもパターンはあると思います。

実際には複数のパターンを組み合わせるのが良いでしょう。

頼んだからといって、必ず引き受けてくれるわけではありませんし、プロの立場としては、条件が合わなければ当然仕事を断ります。

総合的な条件のもと、お互いの合意があって、初めて仕事が成立するのです。

要するにお互いが満足できる条件をつくりだせばいいのです。

 

 

結局、当たり前の事

当然、仕事には対価が必要です。

頼む側も、それを理解していなければいけません。

対価を何も用意せずに頼むとすれば、 それは失礼なことかもしれません。

 

それがお金であれ、宣伝効果であれ、社会的意義であれ、精一杯の対価を用意して仕事を頼む。

頼まれた側は、用意された対価が妥当だと判断した場合、仕事を受ける。そうでなければ断る。

 

そして、その信頼関係が保たれたまま仕事が完了したなら、誰も損をしない結果に終わるのではないでしょうか。

 

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飽くまで個人的な見解です。

私自身、無償で仕事を引き受けた結果、想定報酬以上の副次効果を得られた事例をいくつか経験しているため、一つの解釈として書いております。

決して、無条件でプロにタダで仕事を頼んでも良い、という内容ではありません。

 

(2015/6/14 補筆)

 

真似のすゝめ

真似は芸事の基本なり、という言葉があります。

これは本当だと思います。

でも、真似だけでは越えられない壁があるのも事実だと思います。

 

昔話を・・・

小学生時代

僕が小さな頃は、もちろんyoutubeなんてありませんでした。

それどころか、僕の田舎(和歌山県印南町)はFMラジオさえ届きませんでした。

 

小学生の頃、僕は洋楽しか聴かなかったのですが、AMラジオでは洋楽がほとんど流れない。

そこで僕は、”こち亀”で得た知識を元に、ラジオを改造しました。

 

結果、”感電”しました。(100V)

 

しかし、実験を続けた結果、ついにFM徳島とFM香川が聴けるようになりました。

 

僕は非常に、”感動”しました。

 

中学時代

・・・少し時が経ち、僕が中学になった頃、兄がエレキギターを買いました。

ちょうど当時の僕は、ビートルズのジョージハリスンのギターソロを鍵盤で表現できないことを、疑問に思っていました。

(要するにチョーキングというやつです。その言葉すら知りませんでしたが。)

そこで、兄のいない時に、こっそりギターを出し、色々と試してみました。

 

そして、何週間かたったときに、僕はある発見をしました。

「弦を弾いたあとに弦を押さえたまま捻ると、音程が上がるじゃないか!

なるほど、ジョージはあの音をこうやって出しているんだ!!」

 

4

そう、僕はチョーキングを”発見”したのです。

このときの感動は素晴らしいものでした。

今だに僕の原動力の一部になっています。

 

高校時代

・・・また時が経ち、高校生になった僕は、エレキギターに明け暮れていました。

その頃、僕はCDショップで一枚のCDに出逢います。

パコ・デ・ルシア(フラメンコギターの神様)の「天才」というアルバムでした。

CDを聴いて、その情熱的な演奏と技術に衝撃を受けました。

そこで、僕はエレキギターで耳コピを試みました。

しかし、どうやってもニュアンスが違う。

 

当然です。

そもそも、エレキギターとフラメンコギターは根本的に違うのです。

フラメンコギターはナイロン弦だし、指(爪)で弾くものです。

その事実は、後にフラメンコギターの教則本を手に入れた時に初めて知ったのですが、当時の僕はともかくエレキギターでパコの演奏を必死にコピーしていました。

僕はフラメンコの正しい技術ではなく、情熱的表現をコピーしようとしていたのです。

 

過程が重要ではないか

「もし、自分が小さい頃にyoutubeがあれば、悩む事もなく、楽だったろうなぁ」

そう思う事もあります。

 youtube

最近では、気になったプレイヤーの演奏をyoutubeですぐに目で見る事ができます。

わからない奏法があれば、考えるよりも先に調べれば、すぐに解決することが多いです。

 

Aという革命的なプレイヤーがいたとします。

10歳年下にBやCというプレイヤーがいて、彼らは伝説的プレイヤーAの演奏動画の真似をして学びました。

この学びの過程は、Aが暗中模索して特別な技術を掴んだことに対し、寄り道がなく非常に効率的です。

はじめからゴールがわかっているわけですから。

Aが20年かけて習得した技術を、BやCはわずか10年たらずで習得するかもしれません。

これは時代がもたらした進化です。

 

では、彼らはAを超える存在になるのでしょうか。

どうでしょうか。

 

僕は、

『彼らが、Aの技術を習得・昇華した上で、さらに新しいものを作れる(見えている)かどうか』

という事につきると思います。

 

技術を習得しただけでは、新しいものをつくる事はできません。

本当の意味で新しいものを作るためには、たっぷりと時間をとって、自分と向き合い、悩むことが不可欠だと思います。

いくら技術が進化しても、こればっかりはショートカットできません。

結局は、自分と向き合った時間が勝負の鍵だと思います。

それさえ見失わなければ、今の時代に生きる僕らは、間違いなく有利です。

 

しかし、それでもなお、僕が過去に悩んだ時間は無駄ではなかったと思います。

探求する事でしか経験できない貴重なプロセスと、解決した時の感動があるからです。

真似は飽くなき探求の一つの結果なのですね。 

探求の結果としての真似は大いに奨励されるべきだと思います。

 

時代の進化の中の一つの小さな歯車として、自分が役割を果たせるよう、これからも頑張りたいと思います。

 

 

夢を実現するたった一つの方法(3)

職業柄でしょうか。

僕は『流行』というものを分析してしまうことが多いのですが、

今日はその事について書いてみようと思います。

参考になれば幸いです。

 

“流行に乗っかる安心感”

みんなと同じような服を着たり、同じような音楽を聴いたり、

特に中高生の時なんか、その学校独自の流行はなかったでしょうか?

 

みんなと同じものを身につけると、そこに「共感」が生まれます。

共感が安心感につながる場合も多いようです。

(※よく言われる『人と違う事をすると、なんちゃら』などの表現は僕はあまり好きではありません。)

 

学生時代には、用意された流行に乗っかることが、

得策である場合が多いかもしれません。

 

 

“競争社会の罠”

でも、ひとたび社会にでてみると、

様子が違う事が多いのではないでしょうか。

FreeGreatPicture.com-19724-football

サッカーで例えてみます。

「フォワードかっこいいし、人気だから、俺もフォワードに混じろう」

という人だらけになってしまったらどうなるでしょうか。

誰もゴールを守れません。

また、フォワードの競争率が上がって、

試合に出られる機会がめっきり減ってしまうかもしれません。

 

ここで逆に、

ゴールキーパーやディフェンダーを希望したとすると、どうでしょう。

ひょっとすると、毎試合出場はもちろん、

チームのヒーローになれるかもしれません。

 

これは、例えば、就職なんかにも言えると思いますし、

そのへんは、多少したたかな目を持ってもいいんじゃないかと思います。

いくら良い志と腕を持っていても、他にたくさん人員がいれば、

重宝されないですからね。

 

個人的には、日本のストリートライブが

なぜアコギの弾き語りばかりなのか、疑問です。

例えばギターを三味線に持ち替えるだけで、

独壇場になるはずなんですが・・・。

(※アコギ弾き語りが悪いとは決して思っていません。念のため。)

 

流行がダメというわけではありませんし、

流行だから避ける、というのも不自然です。

でも、選択肢が多彩な社会のほうが、

断然面白いし、機能すると思います。

 

僕はギターからマンドリンに持ち替えた

過去の自分に感謝したいと思います。

 

さて、あなたもマンドリンをはじめてみませんか?

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P.S.

マンドリンクラブに新入生として入ったみなさん、

人数が多くてにぎやかなマンドリンもいいですが、

ひょっとすると、マンドラやマンドロンチェロの

パートに入るほうが、より充実した部活を演出できる

かもしれませんよ。

 

夢を実現するたった一つの方法(2)

ミュージシャンは特別な職業だと思っている人は少なくないと思います。

音楽自体は確かに形のないものですから。

 

でも、実際やっていることといえば、

精一杯良い曲を作って、演奏して、CD作って、

そのあとは、広告出したり、ライブツアーしたり、

レコード屋さんとかにも置いてもらったり、通販とかしたり。

そんな感じです。

これって、お饅頭屋さんが、

新しい饅頭を考えて、丹精込めて作って、

広告出して、営業行脚して、

百貨店に置いてもらったり、楽天で売ったり、

というのとほとんど一緒なわけです。

 

ちょっとは身近に感じていただけたでしょうか。

では、前回の続きを書きたいと思います。

こういう現実的な記事を書くことは、ミュージシャンとしてリスクのあることかもしれません。

しかも、夢を実現するたった一つの方法、なんて書いてますが、内容も未熟で簡単なものです。

(サンプルである僕自身がまだまだ発展途上だからです。)

それでも、ひょっとすると誰かの役に立つかもしれないので、書き留めます。

前回ポスト(夢を実現するたった一つの方法(1))の通り、

明確な夢 – 目標 – 課題の流れがあることを前提として、読んでいただければ幸いです。

全ては夢のためです。

 

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『音楽をやるためにはお金が要る。

でもミュージシャン以外の仕事をしていると音楽活動の時間がとれない。』

こういうジレンマを持っているミュージシャンは少なくないです。

これを解決するには、やはり音楽活動自体を黒字化するしかありません。

 

実は学生時代、コンクールなどで入賞すれば、プロへの道は自動的に

切り拓かれると思っていました。

しかし、その考えは幻想でした。

入賞歴などが損になることはないですが、それを持って直ちに

プロの演奏活動が開始できるものではありませんでした。

就職してからも、音楽一本に絞って生活できる見込みは立っていませんでした。

その後、自分の力で進むべき道を拓かなければならないと気づき、

2010年頃から、自分のスキルに見合った音楽活動の形を模索しはじめました。

 

まず、一番に僕が考えたことは、すごく現実的な事ですが、

『赤字になることは避ける』

です。

これは、ものすごく当たり前!・・・なのですが、実は結構ややこしいです。

例えば、お客さんが20人しか見込めないのにレンタル代がすごく高い

キャパ500人のホールを借りるなんてのは、もってのほかでしょう。

すぐに破産して音楽活動どころじゃありません。

一日20個しか売れないのに毎日500個作っていては、店はすぐ潰れます。

 

しかし、だからといって、赤字の事は全くしないというわけにはいきません。

時には思い切って攻めねばなりません。

ミュージシャンにとって、演奏するという事は、役務であると同時に、

それ自体が広告となる場合もあるのです。

サンプルを無料配布したら売上が伸びた、なんて例もあるかもしれません。

それと同じで、例えばショッピングモールでの演奏なら、

今まで自分の演奏など知ってもらえる機会がなかった人に

聴いてもらえるわけで、場合によってはすごく効果的な広告になります。

それが無料(報酬なし)のコンサートであっても、その広告がきっかけで、

別な仕事の依頼をいただいたりできるかもしれません。

素晴らしい出会いに恵まれるかもしれません。

 

また、ミュージシャンの収入は演奏料だけではありません。

演奏料の他に、物販(CD・楽譜)、JASRACによる印税などが発生します。

例えば、ライブが赤字でも物販で持ち直すなど、他の部分が

補ってくれる場合があります。

なんでもかんでも赤字のものを避けるのではなく、

多角的に考えてみる必要があるということです。

 

スクラップアンドビルド。

“無用な事をやめて、効果の高い事業をする” という

会社(お饅頭屋さん?)経営では当たり前のことを実行するのみです。

 

次に大事だと思ったことは、

『時代に対応する』

です。

(※決して自分のスタイルを曲げて流行に乗るという意味ではないです)

現代の世の中の流れはとても速いです。

特に情報社会の変化はすさまじいです。

音楽の楽しみ方も年々変化しています。

Youtubeを開けば山のような無料音楽。しかも映像付。

CDの在り方も変わってきていますね。

最近では、音楽を聴くものというより、グッズに近い役割になってきました。

でも、CDが売れないこと、コンサートにお客さんが来てくれないことを

その変化のせいにしても意味がないと思います。時代は戻りません。

それよりも、Youtubeによる広告効果を存分に利用する方が得策です。

 

本来、僕と出会う事のなかった人がYoutubeで僕の事を知ってくれて、

ひょっとしたらライブなんかにも来てくれる。

もっと言えば、誰かが僕の曲をコピーした演奏動画があって、

それを見た人が「この曲の本人演奏が聴きたいな」と思い、

最終的には僕の演奏を聴きに来てくれる。

考え方によっては、なんて素敵で便利な時代なんだ、と思いませんか?

 

変化を受け入れて順応する。

目標だって、必要があれば修正する。

ただし、夢だけはぶれない。

 

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・・・具体的な手段というより、「考え方」に

なりましたが、僕が思う事を書いてみました。

将来、世間の期待をはるかに上回るマンドリン

プレイヤーが続出することを期待しています!

そしてその時には、僕も一緒に混じってこの世界を

盛り上げていきたい!

少しでも参考になれば幸いです。

 

夢を実現するたった一つの方法(1)

僕はたまたまマンドリンという楽器でミュージシャンをやっています。

このブログを読んでくれている人の中にもプロを目指すミュージシャン(マンドリニスト)

の方もいると思いますので、ちょっとは参考になる文章を書こうと思います。
商業主義だと感じられる方がいたらごめんなさい。

でも、大きな夢を実現するには現実的な目標を持ち、課題を一つずつクリアする必要があるのです。

夢と目標と課題、これら3点をシームレスに繋げられると、夢が現実のものとなる日も近いと思います。

たまに、課題をこなすことが目標になる方がいらっしゃいますが、

これではいつまでたっても道はひらけません。

夢から目標が組み立てられ、目標を達成するために課題(または目標達成の手段)があると僕は考えています。

この順序を逆にすべきではないと思います。

 

そこで、まずは、夢というものをどれだけ現実に引き寄せられるか。

飽くまで僕の方法ですが、その過程を書いていきます。

僕にはたくさん夢がありますが、そのうちの一つを例にとってみます。

ちょっと大きな夢なので独力でできるわけではありません。

僕の夢というかみんなの夢、とおもって読んでください。

 

“夢” :楽器屋にマンドリンがずらーっと並ぶくらいのマンドリンブームを起こすこと

(※一応後ろの丸いほうのマンドリンとします。)

⇒目標A:新規マンドリンファンを年間千人以上獲得する

→課題a:メディア露出を増やして自らが広告塔となる

→課題b:マンドリンと親和性があり、多くの人の関心を惹く曲をカバーする

→課題c:演奏効果の高いソロ曲を作り、たくさんの奏者に弾いてもらう(拡散効果ねらい)

⇒目標B:数万円程度の楽器を量産できる体制を5年以内に整える

→課題d:製造コスト、材料コストを極限までおさえる

→課題e:大手メーカーの参入(ヤ○ハクラス)

 

目標Bのほうは、もはや僕ごときがすることではないかもしれませんが、

夢を実現するには避けては通れません。

目標Aの達成によって需要が高まれば、目標Bの達成も可能になると思っています。

ここに書いた事は、だいぶ簡略化してますので、

本当に具体的なところまで聞きたいという方が万が一いらっしゃったら、

直接おしらせください。

 

と、ひとつ例にあげましたが、僕が夢と向き合うときは大体上に書いたような切り口で考えています。

夢から目標、目標から課題という順番です。

うまく課題まで降ろせたら、夢ははっきりと見えます。

はっきりと見えたら、あとはひたすら梯子を登っていくだけです。

梯子がしっかりしていると夢はぶれません。

と、ちょっとエラそうな事を書きましたが、実際に僕はこの考え方を身につけた

おかげでプロになる決意ができたので、5年前の僕のように迷っている方にとって

少しでも参考になれば、と思って書いています。

 

・・・・いきなり、妙な事を書きはじめたと思われるかもしれませんが、

一応このコーナーは連載していこうと思っています。

 

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