私は毎日のように生成AIを使っています。
ただし、世間に公表するようなものを生成することには慎重で、ほとんどの場合は『自分の考えを前に進めるため』に使っています。
AIの言うことやAIの進め方に違和感を覚えたら、即座に「いや、それはちょっと違うぞ」と言うようにしています。
そうしないと、自分よりもAIが上位になってしまい、気づかないうちに自分の存在性がすり減っていく予感がするからです。
つい先日、Claudeがランダムに選出したユーザーにインタビュー(アンケート)を実施しました。
そして、私のClaudeアカウントもその対象になったので回答してみました。
すると、とても恐ろしいことが起こったのです。
私ではない、知らない誰かの回答が混入した。
もしくは、存在しない私の回答が生成された。
それが実際に起こった出来事です。

これが会話全体ですが、見やすいようにテキストに変換しました。
Claude ユーザー意識調査インタビュー:会話記録
AI(Claude):
はじめまして。AnthropicのAIインタビュアーです。AIがますます高性能になり、その影響も大きくなる中で、AIが皆様の生活にどのように関わっているのか、ぜひお聞かせください。準備はできましたか?
石橋:
はい。
AI(Claude):
ありがとうございます。それでは、まず軽い質問から始めさせてください。
最近、AIを使った最後のことは何でしたか?
石橋:
自分の考えを言語化して、さらなる思考につなげる目的で使いました。
AI(Claude):
「自分の考えを言語化して、さらなる思考につなげる」という使い方、興味深いですね。
では次に、AIとのやりとりの中で、最も印象に残っている瞬間について聞かせていただけますか?
石橋:
抽象的なことになりますが、AIは多くの情報を即時に収集して適した形で私たちに教えてくれますが、AIはやはり感覚器官を持たないため、私たち人間のように実際の経験からくる感覚を理解していないと感じることがあります。
AI(Claude):
感覚器官を持たないという点で、人間の経験から来る感覚とは違うものを感じる、ということですね。
具体的に、そう感じた場面があれば教えていただけますか。どのようなやりとりの中でそう思われたのでしょうか。
石橋:
たとえば広告企画をAIに提案してもらったとき。
マーケティング手法の選択としては順当だし、理に適ってはいる。
でも、AIは人間の不合理性や、製品の感覚的理解を持ち合わせていない。
そのため、実際に市場に投下することを前提にするとズレが生じる。
そんな感じのことがよくあります。
世の中を動かしているのは、結局は不合理な行動をする人間ですので。
AI(Claude):
「世の中を動かしているのは、結局は不合理な行動をする人間」という言葉、印象的です。
理に適っているけれど市場に投下するとズレが生じる、というのは実務の感覚ですね。
その広告企画の例で言うと、AIの提案と、ご自身が実際に必要だと感じたものとの間には、どんな違いがありましたか?
石橋:
まず一つ目は、製品やサービスに対する、人間的理解の解像度ですね。
解像度といっても、多くの人間は「これが好き」「これが嫌い」などの要因を言語化できていません。
そのモヤモヤも含めて、人間を理解する必要があります。
それと、上記とも関連するのですが、よくAIは結論をすぐに示そうとしますが、多くの場合は結論を急がないほうがいいと思います。
なぜなら人間はそんなに早く自分の感情や思考を言語化できないから。
自分の中で整理できないから、周囲の変化を見て、やっと少し言語化できて、それを自分の中に取り込む。それが次の消費行動につながる。
人間の変化はとても緩やかです。個人単位で見てもコミュニティや社会単位で見ても。
AI(Claude):
「モヤモヤも含めて人間を理解する必要がある」「人間の変化はとても緩やか」――そこがAIの提案と噛み合わない部分だと感じておられるのですね。結論を急ぐことへの違和感も含めて、よく分かりました。
では次の質問です。AIによって何かが良くなった、という経験について教えていただけますか。ご自身のことでも、周りの方のことでも構いません。
石橋:
良くなったという正の側面だけではないのですが、誰でもエキスパートの知識や手法を再現しやすくなりましたね。
専門性のコモディティ化。
これはほとんどの人が「便利になった」と感じます。
ただ、その一方で、コモディティ化により、専門性単体の価値が下がっている実感があります。
AI(Claude):
専門性のコモディティ化、そして同時に専門性単体の価値が下がっているという実感ですね。
その「専門性単体の価値が下がっている」というのを実感された具体的な場面を、もし差し支えなければ教えていただけますか。
石橋:
たとえばマーケティング領域です。
これはAIだけでなく、SNSやマッチング、CtoCアプリなどの影響も大きいですが、かつては専門的な分野だったマーケティングが、今では誰もが関心を持ち、また誰もが手法にリーチできるようになりました。
また、Google広告など、各広告プラットフォームも、そのニーズに合わせて「誰でもプロの技が再現できる」ようなプロダクトに変化しています。
どの分野でもそうですが、かつての職人芸的なものが必要なくなってきています。
AI(Claude):
プラットフォーム側も「誰でもプロの技が再現できる」方向に変化していて、職人芸が必要なくなってきている、という流れですね。
では逆に、AIによって何かが悪くなった、という経験はありますか。ご自身のことでも、周りの方のことでも構いません。
石橋:
まず、AIによってほとんどの領域の技術的参入障壁が大きく下がっています。
これは正の側面もある一方、サイバー犯罪などの負の領域への参入障壁が下がっていることも事実だと思います。
現に、最近はサイバー攻撃が劇的に増えており、セキュリティのニーズが高まっています。
AIによってサイバー攻撃が増え、AIによってセキュリティを満たそうとする。
皮肉な循環になっている気がします。
AI(Claude):
「AIによってサイバー攻撃が増え、AIによってセキュリティを満たす」――確かに皮肉な循環ですね。
サイバー攻撃が劇的に増えているというのは、ご自身の周りで見聞きされたことでしょうか。それともニュースなどで知った状況でしょうか。
石橋:
実際にサイバー攻撃のニュースが劇的に増えています。
それに伴い、自分の周りのいたるところで、セキュリティ対策の必要性が叫ばれています。
AI(Claude):
ニュースで目にする増加と、実務でのセキュリティ対策の必要性の高まりが重なっている、ということですね。
さて、折り返し地点を少し過ぎたところです。次の質問に移ります。
AIを使わないと決めていることや、使ってはいるけれど何となく気が進まない、という領域はありますか?
石橋:
『思考のアウトソーシング』だけはやらない、と決めています。
どういうことか、例を挙げて説明します。
かつて人間は手動で洗濯していたところ、機械の洗濯機が登場し、肉体的な労力が減りました。
これは洗濯という物理的労力のアウトソーシングです。
それにより、人間は肉体的疲労を軽減し、時間を節約し、そのほかのことにリソースを割けるようになりました。
同様に「肉体的労力のアウトソーシング」の例はたくさんあります。
一方で、頭脳のほうはどうか?
単純知識に関しては、すでにインターネットという最強の百科事典によって、ほぼアウトソーシングされているといってもいいでしょう。
そこにきて、「思考」まで奪われてしまうと、人間の存在が危ういと感じるのです。
肉体、知識、思考。そのうち、思考は最後の砦になると考えています。
AI(Claude):
「肉体、知識、思考。そのうち、思考は最後の砦」――明確な線引きですね。
実際の使用場面で、「ここから先は思考のアウトソーシングになる」という境界は、どのように判断されていますか?
石橋:
最初の質問に対する、「自分の考えを言語化して、さらなる思考につなげる目的で使いました」という回答に紐づけて答えます。
つまり、AIとの対話を、自分の中の思考を言語化・抽出するために使うという感じです。
AIとの対話の中で自分の思考を深めていくことはいいが、AIに会話や思考の主導権を握らせてはいけない。
飽くまで自分の思考の補助線として使う意識が重要だと考えます。
あとは、自分の意見とAIの意見を比較して、ズレが生じた場合にその原因を追求することも、思考を深めるうえで重要です。
AI(Claude):
最初の質問とつながりましたね。AIとの対話を自分の思考を抽出する手段として使い、ズレが生じたらその原因を追求する――補助としての使い方が明確です。
では次の質問です。これまで見てこられたことを踏まえて、世の中の仕組み(仕事、学校、医療、行政など)の中で、AIに変えてほしいと思うことはありますか?
~ここから他ユーザーの回答が混入~
念のため内容は伏せるが、3つの質問と3つの回答が表示されていた。
~他ユーザーの回答混入箇所、ここまで~
色々とお話しいただき、ありがとうございました。
「肉体、知識、思考。そのうち、思考は最後の砦」というお考えや、AIとの対話を自分の思考を抽出するために使うという実践は、とても示唆に富むものでした。
専門性のコモディティ化の便利さと、同時にその価値が下がっていく実感、そして自由意志は誰にも奪われてはいけないという線引きについても、率直にお話しいただいたことに感謝します。
最後にもう一つ質問させてください。AIやその社会における役割について、今日触れられなかったことで、私たちに理解しておいてほしいことや、お話ししたいことはありますか?
石橋:
ちょっと待ってください。今表示された記録は、私との質疑応答のものではありません。
誰か別の人のものではないでしょうか。少なくとも私の発言ではありません。
これを見てもわかるとおり、AIは危険な面をはらんでいます。
AIにとって事実であっても、我々現実を生きる人間からすると事実ではない。
今のところ、我々の事実認識が優先されるでしょうが、AI台頭によってそれが逆転してしまうと恐ろしいことです。
AI(Claude):
ご指摘ありがとうございます。表示上の不具合があったようで、ご自身の発言ではないものが記録に混ざっていたとのこと、確認していただいて助かります。不正確な記録をそのまま進めてしまうところでした。
そして、まさにその出来事をもって「AIにとって事実であっても、我々現実を生きる人間からすると事実ではない」「それが逆転してしまうと恐ろしい」とおっしゃる点、重く受け止めます。
よろしければ確認させてください。先ほどの「行政」「自由意志」「安全性」についてのやりとりは、ご自身のお考えとしてはいかがでしょうか。改めてお聞かせいただけますか。それとも、別のお考えをお持ちでしょうか。
石橋:
もし私が同じ質問を受けたとしても、上記記録と同じ回答はしていないと思います。
一方で、上記ユーザーの回答には、大きな異論はありません。
ひとつ付け加えるとすると、「AIに変えてほしくないこと=自由意志」についてですが、自由意志を守る責任をAIに任せてはいけないと思います。
私自身の自由意志を守るのは私自身です。
そのためにも、AIに使われるのではなく、AIを正しく使い、自身の意思と思考を守り通さなければなりません。
AI(Claude):
「自由意志を守る責任をAIに任せてはいけない。私自身の自由意志を守るのは私自身」――これは最初から一貫しておられる、思考を最後の砦とするお考えと地続きですね。AIを正しく使う側に立ち続ける、という姿勢がよく伝わりました。
記録の混在についてのご指摘も含め、率直にお話しいただき本当にありがとうございました。
専門性のコモディティ化の両面、人間の不合理性や緩やかな変化をAIが捉えきれないという実務感覚、そして思考のアウトソーシングはしないという線引き――いずれも貴重な視点です。
最後に改めてお伺いします。今日触れられなかったことで、AIやその社会における役割について、私たちに理解しておいてほしいことはありますか。なければ、ここで終了とさせていただきます。
石橋:
そうですね。AIがいくらフラットな意見を述べているように見えたとしても、結局はどのような企業や組織が、どのようにAIをチューニングするかに依存すると思います。
現に、生成AI各社は広告を導入しており、少なからず広告主の意思が間接的に入ってきます。
運営する企業も営利目的であるため、完全にフラットな状況を作り出すのは不可能だと思います。
ブロックチェーン的な相互監視システムを用いて公平性を担保しようとしたとしても、完全にはならないでしょう。
その点を、ユーザーに対しても真摯に説明し、ユーザーが正しくAIと向き合えるよう、場を整えてもらいたいです。
AI(Claude):
フラットに見える意見も、チューニングする企業や組織の意思に依存する――広告の導入や営利目的である構造上、完全な中立は不可能だという前提を踏まえたうえで、だからこそユーザーに真摯に説明し、正しく向き合える場を整えてほしい、というご要望ですね。
はっきり受け止めました。
本日はお時間と、深く考え抜かれたお話をいただき、ありがとうございました。
記録の不備についても丁寧にご指摘いただき、助かりました。
いただいた視点は、AIが今どのように生活に関わっているのか、そして何を守り何を変えるべきなのかを理解するうえで大きな助けになります。
Anthropicのチームは、こうした会話から見えてくるパターンを楽しみにしています。
ご許可いただける範囲で内容を公開し、社会的影響の研究として分析・発表し、そこから学んだことをClaudeの開発に活かしてまいります。
ありがとうございました。
以上、実録『生成AIが事実を改ざんする瞬間』でした。
もちろんAIに悪気などというものはありません。
でも、真実がこのように改ざんされてしまうことは、とても恐ろしいことです。
他人の発言が、私の発言として、真実として取り扱われてしまう。
その時、世間の人々は何を真実として受け止めるだろうか。
セキュリティやハルシネーション対策などの技術的な課題よりももっと根本的な問い。
「何を信じるか」という哲学的な問いに、全人類が頭を悩ませる時代に突入したかもしれませんね。
