先月、2023年4月6日にTwitterのアカウントを閉鎖しました。
フォロワー数3,000にも満たないアカウントが消えたところで世の中は何も変わりませんが、なぜ閉鎖を決めたのか、その理由を共有してみようと思います。
SNSとの付き合い方に違和感を感じている方や、自身の活動、情報発信や情報のインプットの質を改善したい方の参考になるかも。
そんな淡い期待をもってこの記事を書いています。
そもそもSNSとは何のためのものか?
そもそもSNSとは、あるいはTwitterとは何のためにあるものなのでしょう?
まずはそのあたりを整理したいと思います。
本来のTwitterとは?今のTwitterとの差は?
ツールの使われ方は時代によって変わってくるのは仕方がないことですが、元々「twitter」は英語で「さえずり・興奮」「無駄話」という意味です。
飛んでいる小鳥を自由に「Follow」して小話を聞く、あるいは逆もしかり。
そんな程度のものだったはずです。
それが、利用している人たちが勝手にローカルルールを追加して、自由度が失われていった印象があります。
また、SNSも企業にとっては広告事業であるため、ユーザビリティを損なってでも利益を追求する方向になるのは当然のことです。
そういった背景もあり、Twitterのポジションや性質が徐々に変化してきているのだと思います。
SNSを利用する人の属性と目的
現在、どんな人がSNSを利用しているのでしょうか?
また、どんな目的で利用しているのでしょうか?
アカウントの属性と目的の組み合わせを表にしてみました。
番号 | 属性 | 目的 | コンテンツの例 |
---|---|---|---|
1-1 | 企業・組織 | 広報・情報発信 | 製品やサービス、活動報告 |
1-2 | 〃 | 採用情報 | 会社の魅力、求人情報 |
1-3 | 〃 | サポート | カスタマーサポート、問い合わせ |
2-1 | クリエイター | 作品発表 | イラストや写真、作品紹介 |
2-2 | 〃 | 交流 | 他のクリエイターと繋がる |
2-3 | 〃 | 宣伝 | 自分の作品や展示会を告知 |
3-1 | 情報受信用 | 情報収集 | 最新情報やトレンドをキャッチ |
3-2 | 〃 | 学習 | 興味のある分野の知識を深める |
4-1 | コミュニティ | 交流・情報交換 | 同じ趣味や興味を持つ仲間と繋がる |
4-2 | 〃 | イベント情報 | オフ会やイベントを告知 |
5-1 | ファン | 応援・情報共有 | 好きなアーティストや作品を応援 |
5-2 | 〃 | 交流 | 他のファンと繋がる |
完全ではないとは思いますが、おおむね網羅できていると思います。
この表を見ながら、自分の属性とSNS利用の目的を改めて振り返ってみました。
僕の場合は、属性が「クリエイター」で、当初は「作品発表」「交流」「宣伝」の3つを主な目的としてアカウントを作成しましたが、その後「情報収集」などの用途で利用する割合が増えてきた経緯があります。
そのように、アカウント作成時から目的が変化することもあるかと思います。
僕の場合、そんなSNS利用目的の変化を振り返り、今の自分がSNSを利用する必要があるのかどうかを改めて検討するに至った形になります。
SNSのデメリット
多用なユーザーが様々な目的で便利に利用されているSNSですが、当然デメリットもあります。
ここでは、近年よく話題になる炎上問題など、他者や社会を巻き込む問題ではなく、内的な問題について、僕の考えるデメリットを言語化していきます。
1. “いいねが近すぎる” 問題
一人のクリエイターとして、「いいねが近すぎる」ということを最近強く思います。
SNSが無かった時代は、何かを生み出す活動の中で、世間の評価を得られるまでのスパンが非常に長く、日の目を見るまでに数年はかかるケースはざらにありました。
他人の目に晒されるまでは、ひたすら自分の中で反芻し、作品をぐつぐつと煮込んでいくのです。
そのため、作品一つあたりに注ぐ熱量や時間的なエネルギーが非常に高くなります。
自分においても、一曲を完成させるまでに1年を費やしていた時期がありました。
しかし、今はどうでしょう?
SNSを見れば、みんなが作品を頻繁に発表しています。
その流れで、自分も何か発表したくなる気分になるのは当然です。
SNSで発表すると必ず何らかの反応を観測できます。(目に見える反応がないということも含め)
だれでも手軽に作品を発表し、即座に反応がかえってくるため、どうしても活動のゴールがインスタントな方向に偏ってしまう傾向があります。
SNSの特性を理解して、必要な時に必要な分だけツールとして活用するのは非常に有効な手段ですが、そんな風にコントロールするのはかなり難しいです。
知らないうちにバイアスがかかり、手段が目的に、あるいは単なるマイルストーンがいつの間にかゴールとなってしまっているとしたら、かなりの問題です。
SNSやいいねが身近すぎるため、無意識にゴールポストが手前に来てしまうこと、あるいは「手段の目的化」を、僕は『 “いいねが近すぎる”問題 』と呼ぶようにしています。
2. ジャンク情報という問題
ジャンクフードはお好きでしょうか?
確かにジャンクフードはやみつきになるほど美味しい場合があります。
しかし、食べるものが偏ると健康を害したり、日々の活動のパフォーマンスに悪影響を及ぼします。
情報についても同じではないでしょうか?
どんな情報を取り入れるか。それによってアウトプットが変わってきます。
しかし、人間が取り入れられる情報量には、胃袋と同じように限界があります。
どんな情報でお腹(脳)を満たすかはとても重要であり、ジャンクな情報で脳内を満たしてしまうとアウトプットもジャンキーなものになりがちです。
何をもってジャンクかというのは難しい部分がありますが、SNSで誰でも手に入る情報には少なくとも希少性はありません。
希少性のない情報ばかりインプットしていると、パフォーマンスも有象無象のものになってしまうことが多くなってしまうでしょう。
3. 一般言語化によるエネルギーの消耗
SNSのデメリットについて、もう一つ思うことがあります。
こちらはあまり他で聞いたことがないため、かなり個人の感想に近いものかもしれません。
ある程度カテゴリやコミュニティにより整理されているとはいえ、基本的にはSNSは不特定多数に向けて発信するものです。
発信先が不特定多数なので、どうしても多くのユーザーに理解されるような標準的な言葉と方法でアウトプットする必要があります。(そうでないと誰にも理解されず「この人変わってるな~」だけで終わってしまいます)
多くのクリエイターは着想の段階では抽象的なイメージしかなく、それを作品に落とし込む際に必ずしも一般的な言語に変換するプロセスがあるとは限りません。
特に周りとコンセンサスをとる必要のない個人で活動するミュージシャンなどの場合、抽象的なイメージをそのまま抽象的な作品としてアウトプットする方が多いのではないでしょうか。
しかし、SNSで発信する場合、どうしても一般のユーザーに理解されやすい大衆的な形で言語化する必要があります。
個人の感想ですが、そのように創作に本来必要のなかった濃縮還元のような変換プロセスを加えることにより、創作エネルギーを消耗するだけでなく、創作(もしくはそのゴール)の陳腐化につながるような感覚がありました。
このように、一般言語化のプロセスが創作に影響を与えることもあるのではないかと思います。
SNSが無かった場合のことを考えてみる
逆にSNSのメリットは何でしょうか?
世間一般で言われているメリットとして「交友関係を広げられる」「トレンドや情報を取得できる」「暇つぶしができる」などがありますが、本当にそれはSNSがないとできないことでしょうか?
結局、SNSを利用することのメリットは人によって異なるため、ここで定義する必要はなさそうです。
僕の場合、自分にとってのSNSのメリットを考えるにあたって「もしSNSが無かったら何を失うか?」という問いを設定しました。
アカウント削除後の生活をリアルに想像した結果、以下を失うことを想定しました。
- 現時点でのフォロワーを失う
- 承認欲求を満たす場を失う
- 自身の連絡先の一つを失う
- 活動の履歴を失う
- 直接会うほどではない人との繋がりを失う
SNSアカウントを削除することによって失うのは、主にこの5つです。
では、この5つを失うことはどの程度の痛手になるのか。
しばらく想像してみたのですが、僕の場合はほとんど影響なさそうでした。
まず「1. 現時点でのフォロワーを失う」ですが、フォロワー数は2,500程度しかいないのでそもそも固執する必要がなかったです。
「2. 承認欲求を満たす場を失う」は一番悩みました。もともと承認欲求は弱いほうだと思うのですが、それでも多少はそういった欲求が存在し、それをSNSで発散していたことは間違いないです。ただ、少し考えてみれば、その欲求は “SNSがあるから生まれる” という側面もあるのではないかとも思いました。これについては実際に辞めて変化を確かめるしかありません。(※結論としては、この仮説は正しかったです)
次は「3. 自身の連絡先の一つを失う」です。これはシンプルで、僕の名前で検索すれば一発でこのサイトが出てきますし、SNSの連絡先が消えても何も問題がありません。
「4. 活動の履歴を失う」ですが、確かにtwitterにはアカウント開設以降の10年の履歴が詰まっていました。ただ、過去ではなく未来に向かって生きたい自分としては、SNSにある過去の履歴を参照するメリットは無さそうです。
最後の「5. 直接会うほどではない人との繋がりを失う」は少しトゲがある表現かもしれませんが、これ以外に言いようがありません。直接会うような人は、既に別の連絡先を交換しています。そして、少なくとも僕は、長らくSNSでうっすらと繋がっているだけの関係から固い絆に発展したことはありません…。(もちろんDMなどから発展することはありましたが、それはSNSが無くても発生していた可能性が高いです)
結論、SNSを閉じることによって失うことはあるが、自分にとってクリティカルなものは一つもなく、もはやデメリットとは言えない、と考えました。
この時点で、少なくともTwitterアカウントを継続する意味があまりないことを認識しました。
その上でSNSアカウントを残すべきか?
自分にとってのSNSのメリット・デメリットを整理できたため、いよいよTwitterアカウントを削除するか継続するかを選択するフェーズとなりました。
僕の場合はほぼ結論が出ているようなものだったので、あとはアカウント削除を確定するだけでした。
未練、というか「削除した後に想定外の部分で困らないだろうか」という不安が多少ありました。また、これまで存在したもの、運用してきたものを削除するというのは、何か勿体ない気もします。
ただ、客観的に考えると、そのほとんどは現状維持バイアスやサンクコスト効果によるもののようです。
最後の決め手はやはり、『過去よりも未来に向かって歩んでいきたい』という想いでした。
未来に向かうためには常に自分という存在をリフレッシュしていかねばならない。その意思を自分の中でも明確にするために、Twitterアカウントを削除することにしました。
ちなみに、アカウント削除して2か月近く経過していますが、非常に快適です。
食べ物や運動と同様に、情報に関しても何をインプットして何をアウトプットするのかが重要なのかもしれません。
ジャンクな情報のやりとりが減り、自分がフォーカスすべきものが明確になったため、以前よりも思考がクリアになった印象があります。
長文を読んでいただきありがとうございます。
何かの参考になればうれしいです。
コメント