私、石橋敬三の作品が海外アーティストMVで盗用され、さらに著作権を主張されるという事件は、『海外アーティストMVの削除』という形で一応の決着を見ました。
しかし、いまだに盗用したプロダクションとのやりとりは現在進行中です。
現状のご報告
相手方はBGM音源のみを差し替えた新しい動画をYouTubeに公開しております。
新しい動画について、プロデューサーによると、『この音源は正規に使用権を買ったものだ』とのことで、誰の作品かはわかりませんが権利関係はクリアしているとのことです。
当初、40万回再生の以前の動画を復活させるために協力(使用許諾)してほしいとの連絡がプロデューサーからありましたが、今もその意思があるのかどうかはまだ確認できていません。
つまり返事が来ていない状態です。
さらに、YouTube以外のサイトに、私の作品が使用されている方の動画が残っているとの情報をいただき、実際に閲覧できることを私も確認しております。
以上のとおり、完全に解決というわけではありません。
ですが、経過を見守っていただいている方々のためにも、一度まとめにかかりたいと思います。
※本音を言うと、一部まとめサイト等での偏った解釈による編集、私の意思とは違う展開には少々困っており、事実を正確に共有したいという思いもあります。
これまでの流れ
① 私の作品『Aries』が海外プロダクションに無断盗用された。(有名アーティストのMV)
② なぜか相手方からYouTubeを通して著作権侵害の申し立てがあった。(Content IDによる自動申し立て)
③ Ariesは僕が2011年に作曲したものなので、逆にこちらから侵害の申し立てをした。
④ 私の申し立てが却下され、『Aries』の動画が閲覧できなくなった。
⑤ おそらくは世間での動きに反応する形で、YouTubeが私の申し立てを受け入れた。
⑥ 私の動画が再生可能となり、相手方の動画が削除された。
⑦ 相手方プロダクションから連絡あり。「ディレクターが単独で行ったことで悪意はなかった。こういう結果になって申し訳ない。」
⑧ 続けて連絡あり。「40万再生の動画を回復したいので、協力してほしい。その代わり、中東地域で貴方のプロモーションを展開するから。」
⑨ 私から連絡。「中東プロモーションは要りません。その代わり日本赤十字に寄付をしてください。それから使用の際は必ず、クレジット表記をするように。」
⑩ 相手方が、私の作品の部分を別音源に差し替えた動画を再度YouTubeにアップロード。
⑪ 私から再度連絡。「日本の方々は皆、この件に強い関心を持っており、私には説明の義務がある。返事を頂きたい。」
皆様もそうだと思いますが、それ以上に私がきちんとした返事を聞きたいので、今後も催促は続けようと思います。
とはいえ、先週ほどの慌ただしさはありません。
冷静になって振り返りますので、少々私にお付き合いください。
頂戴したご意見
今回の件で、多くの方々にご協力をいただきましたし、ご助言もたくさんいただきました。
本当に感謝しております。YouTubeがあれほど早く対処したことには、業界関係者の方も驚いてらっしゃいます。
皆様のおかげです。
私のほうに頂いた貴重なご意見の中で、今後の参考となる重要と思われるものをまとめてみます。
① JASRACが楽曲(Aries)を管理できていなかったのではないか。
② YouTubeは大手に甘く、個人に厳しいのか?
③ 何よりもまず弁護士を頼むべきだ。
④ SNSで拡散するのは良くない。
⑤ なぜ英語や現地の言語で発信しないのか?
⑥ 著作権なんて捨ててしまえば良いのではないか。
①について、まず、今回の件でJASRACを批判しなければいけない部分はないと思います。
盗用は私が最初に発見し、その後JASRACに相談しました。
実は以前、私の楽曲がJASRACに正確に管理されていなかった事例がありました。
そのTweetを今回の関連としてまとめているサイトもあり、誤解を呼んだのかもしれません。
後に述べますが、これはSNS拡散の弊害です。
とにかく、JASRACについては、今回は積極的に対応に動いていただいたと感じています。
やはり、このような不測の事態のことを考えると、私のようなチームに属さない者にとって、JASRACの力は必要と感じざるを得ません。
とはいえ、JASRACは原盤権を管理する団体ではないので、その点も理解しておく必要があるようです。
※原盤権については私も知識に自信がないので、必要な方はご自身でお調べください。
次に②の部分。
そもそも、YouTubeは情報社会の中で急速に発展し、音楽をはじめ芸術業界においても功績は大きく、既に無くてはならない存在になっています。
もちろん、その影には徹底的な合理主義があり、今回の著作権処理もコンピューターによる音紋比較に端を発したものです。
つまり、この技術のお陰で私は権利侵害を受けている事に気づいた、とも言えます。
みんなが便利にエンターテインメント・コンテンツを楽しめるようになったのは、YouTubeの合理化のおかげです。
私などは、YouTubeがなければミュージシャンにすらなっていなかったでしょう。
物事には光と影があります。光の部分を見失っては、科学や文化の進歩はありません。
続いて、③弁護士依頼についてです。
これは、正直に申し上げて、真っ先に考えたのですが、私にはその財力がありません・・・。
通常は相談だけでも安くない時間料金が発生しますし、訴訟となるとさらに一段上がるはずです。
状況によっては、正攻法を選択できないということも世の中にはあります。
その点を踏まえて私が大きく頼ったのは、④SNSでの拡散です。
これは、私も最初から大きなリスクを想定していました。
まず、SNSという短文による伝言ゲームによって、私の意図が正確に伝わらない可能性が考えられました。
さらに、相手方や第三者に不利益を与えてしまうことになる可能性もあり、これついても慎重にならざるを得ません。
一定期間、私はSNSに張り付き、またある程度出せる範囲で記事を自ら公開するなど、できる限りの努力をしました。
結果的には、皆様のおかげで最高の結果に結びついたと思いますが、今後同じような目に合う人が出たとしても、手放しでSNS拡散を薦めることはないでしょう。
SNSに関連しますが、⑤英語での発信はしないのかという部分について。
実際は時間がなかったということもありますが、英語や現地での言葉で発信することによって、いよいよコントロール不能になるのではないかと思いました。
状況に応じて柔軟に動かないといけないのに、その状況すら判断できないことは非常に恐ろしいです。
最後に⑥著作権不要論について。
個人的にはショッキングなご意見でした。
フリー素材が溢れかえるこの時代において、たしかに『フリー』がもたらす価値の比重は大きくなっています。
私のコンテンツも一部、フリーとして公開しているものもあります。
ただ、この点については、私は、どんな未来が待っていようが、『著作権を必要とする方がいなくなることは無い』と思っています。
つまり、発生し、主張された著作権は、絶対に守られなくてはならないのです。
著作権を考える機会
繰り返しになりますが、著作権を主張するか放棄するかは、創作者の自由です。
ですが、創作者によって主張された著作権は必ず、守られなければなりません。
そうでないと、創作(あるいは創作者)に偏りが生じ、芸術は死に絶えるか、あるいは『面白くないもの』になるでしょう。
※敢えて『面白くない』という主観的な表現を使いましたが、ここまでお読みいただいている皆様であれば私の意図は伝わると思います。
以上となります。
最初、この問題に直面した時から、『問題提起』が機会を与えられた私の使命だと直感しました。
私はこれまで幾度と無く、音楽や、自身の創作活動に救われてきました。
YouTubeの動画に救われたこともあります。
事態はまだ完全決着とはいかないですが、この記事が未来の芸術、著作権を考えるキッカケとなれば、と思い公開させていただきました。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
芸術を発信する者にとっても、それ享受する者にとっても、平和な未来が続きますように。
マンドリン奏者・作曲家
石橋敬三
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