NYタイムズにマンドリンオーケストラの記事が!

ニューヨークにいた頃にお世話になっていた方から、こんなメールが届きました。
『元気かい、Kzo? 今朝ニューヨークタイムズを読んでたらマンドリンオーケストラの事が書いてあったから君の事を思い出してね。(続く)』
この方、なんとニューヨーク州郊外のある都市のシティマネージャー(市長に代わって市を経営する人)だった方なのですが、たまにこんな便りを頂きます。
ありがとう、ピーター。
 
で、肝心の記事の内容なのですが、非常に面白い内容だったので、要約してみました。
わかりやすくするため、内容や段落の順番を入れ替えたり、意訳している箇所もありますのでご了承ください。
 

ほんの少しの勇気で、マンドリンオーケストラは蘇る!

ついこの間の火曜日、アッパーウェストのとある部屋にて、ニューヨークマンドリンオーケストラのリハーサルがあった。
かつて、19世紀後半から20世紀前半にかけて、マンハッタンには、” the International Ladies’ Garment Workers’ Union Orchestra” 、 ” the Mandolin Symphonette ” など、マンドリンの合奏団がたくさん存在した。
今では、1924年に立ち上げられた、このニューヨークマンドリンオーケストラ(当時のthe New York Freiheit Orchestra)が、市内でたった一つ残った、伝統的なマンドリンオーケストラだ。
 
マンドリンやマンドラ、マンドチェロで奏でられたビートルズの“When I’m Sixty-Four”では、アイリーン・ロバートさん(85歳)が彼女の80年もののマンドリンを置き、なんとソロの口笛を吹き出した。
1986年に加入したロバートさんは、「メンバーは増えて来ているわ」と言う。
12人まで落ち込んだ6年前、解散の意見に大きく反対したロバートさんは、「今では30人近くいるのよ!」と力強く言う。
 
ニューヨークマンドリンオーケストラ(以下NYMO)の代表は40歳と若く、新しいウェブサイトも持ち、メンバー増も当然と言えるだろう。
さらに、最近人気のバンドがマンドリンを取り入れていることもあり、NYMOの観客層がますます拡がっている。
 
とはいえ、今後も長期にわたってNYMOが存続するためには、オーケストラ内での何らかの変革が必要となるだろう。
リュートの仲間とも言えるマンドリンは、よく知られているかもしれない。
しかし、NYMO代表のSpencer Katzmanさんは、「残念ながら、マンドリンオーケストラの存在を知っている人は少ない。」と語る。
 
Katzmanさんは2008年に加入後、2010年から代表を務め、NYMOの再興を目指している。
これまで、マンドリンオーケストラのレパートリーと言えば、極めてクラシカルなものばかりだった。
ところが、近所でフリーコンサートを披露していた際に、1940年代から50年代にかけてのポピュラー音楽のほうが反応が良いことに気付いた。
 
彼は80年代にMTVを愛し、ロックスターを夢みた少年だった。
その後、サンフランシスコにてロックバンドでギターを弾いていたが、限界を感じ、自身の音楽の幅を拡げるためにジャズやブルーグラスを勉強し出した。
最近では、さらに、エレクトロニカにも手を出し、DJになろうともしている。
とあるスカバンドの現役ギタリストでもある。
ロッド・スチュアートの1971年の曲、 “Mandolin WInd” をいつか弾きたいと思っていた彼は、サンフランシスコマンドリンオーケストラに加入、その後ニューヨークに移住し、NYMOのメンバーとなっている。
 
かつては、マンドリンオーケストラはアメリカでは非常に人気のあるものだったが、今では他の様々な流行音楽と比べ、いくぶん退屈に思われているかもしれない。
1880年代、ヨーロッパを席巻した the Spanish Students がマンハッタンにやってきた事があった。
The Spanish Students は、バンドゥリアを中心に据えたグループだった。
バンドゥリアはマンドリンによく似た楽器だったので、多くの人々はそれをマンドリンと勘違いした。
我がニューヨークタイムズも当時、それをマンドリンとして記事に載せてしまい、イタリア系移民の方に指摘された事があった。
その後、マンドリンは市内でも流行し、ギブソン社がマンドリンを大量に生産し、国内には当時500以上のマンドリンオーケストラができた。
ミルウォーキーマンドリンオーケストラのメンバーであり、音楽歴史家のPaul Ruppaさんも「当時は、老若男女がマンドリンをやっていたよ。まさに『みんなの楽器』だった。」と語る。
 
マンドリンオーケストラは当時、流行だったラグタイムやワルツなどを演奏したが、長い年月を経て、どういうわけか大衆性を失ってしまったようだ。
ロバートさん(85)によると、NYMOはヴィヴァルディやバッハなどの音楽に傾倒しがちだが、メンバーの多くはクラシック音楽にさほど慣れ親しんでいるわけではない。
ロバートさんは、リトアニア系移民である母からマンドリン、色んなジャンルの音楽を教わった。
(実は、彼女の母もかつてはNYMOのメンバーであったのだが、ロバートさんはNYMOに加入するまでそれを知らなかった。)
 
NYMOのマネージャーであるBernie Brachfeldさん(80歳)は、Katzmanさんと同様に、完成されたクラシック音楽よりも、親しみやすい音楽に目を向けている。
「磨き抜かれた宝石のような演奏ばかりではだめだ。決して完璧を追求する事を否定するわけではないが、私たちはそれに別の要素を加えて、観客を引き込みたい。」と彼は言う。
 
NYMOの次の本番は6月1日(日)、記念すべき90周年の演奏会がニューヨーク血液センターで開かれる。
Katzmanさんは、「これまでの90年と同様、これからも色んな浮き沈みがあるとは思う。でも今は全てが上手くかみ合っている!」と語る。
ビートルズやモータウン、ブルーグラスなどの音楽を取り入れる彼はこうも言っている。
「メンバーが次はどんな音楽をやりたいのか、それを判断するのは非常に難しい。でも、結果的にみんなが楽しんでいるのなら、それで良いんだよ。」
 
ニューヨークタイムズの記事(原文)
※リンク先には興味深い画像や音源がありますので、是非見てくださいね。
 
 

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